フィードバックと学習

 時々依頼を受けて、フィードバック研修、または研修プログラムの中に「フィードバック」のセッションが組み込まれたものを実施することがある。
 この場合、ほとんどのケースで、受講者の表情は暗い。ほとんどのケースは、「人事考課」→「考課結果のフィードバック」という流れの中での研修になっているからだ。人はフィードバックを避けたがる。つまり、楽しくない、痛みを予感する?
 私自身も若い頃は、「フィードバック」とは、「他者に指摘すること」だと思っていた。そして、どちらかというとネガティブな内容を指摘することだと。

 しかし、そもそもフィードバックの意味は、辞書によって異なるが、工学的な視点で「出力を入力側に戻し、原因を調整する機能(帰還)」となっているケースが多い。各種センサーを活用し制御する機器、例えばエアコン、ボイラー、自動運転、その他のようなイメージだと思う。フィードバックといいう言葉は、様々な場面で少しニュアンスを変えて使われているのだと思う。

 「フィードバックとは、要するに、人々に『自分の行動が生み出した結果』についての正確で説得力のある情報を素早く伝えることです。」とドネラ・H・メドウズ(アメリカの環境科学者で。 『成長の限界』と『システム思考入門』の主著者)は書いている。
 「システム思考入門」にドネラ・H・メドウズが経験した最も効果的なフィードバックゲームの話がある。「それは、実際にダートマス大学の学生が企画・実行した奇抜な試みです。彼らは、私を含む多くの人々に『自分の出したごみを一週間持ち歩く』ことをさせたのです。私たちは大きな透明のビニール袋を渡されましたが、その袋は日に日にどんどん重くなりました。一日中ごみを持ち歩き、同僚にさらし続けることは、少なくとも私にとっては、使い捨て社会から抜け出そうと決意させるに足るフィードバックとなったのでした。」
 これもフィードバックであり、そこから彼女は気づきと学びを得た。

 フィードバックを機能させようとしているものは、私たちの身の回りにたくさんある。
 ・先ほどの人事評価、360度フィードバック
 ・学校の成績表やテスト
 ・企業の四半期ごとの決算、KPI
 ・日銀短観や各種経済指標  その他上げればきりがない。アダム・スミスが「国富論」で言う「神の見えざる手」が市場に働く、、、これもある種のフィードバックが働くからのなせる業だと思う。

 フィードバックは、非常に有効かつ強力な方法だと思う。しかし、一方でこの仕組みが常に効果的に働いているかには、少し疑問が生じる。
 フィードバックをする側、フィードバックの仕組みをデザインする側も色々気をつける必要があると思う。そして、フィードバックを受ける側によって、それがどういった気づきや学びにつながるかは、大きく異なるように思う。先ほどのドネラ・メドウズのごみ袋のケースも、彼女はそういった気づき・学びを得たが、10人が10人とも同じ気づき・学びを得たかはわからない。
 私も時々、お客様企業で組織診断・モラールサーベイを実施するが、そのデータに対する受け止め方は人によって異なる。

 人によってフィードバックの受止めと学習が異なるのは、一つには、フィードバックデータの論理的解釈が異なるがゆえに、同じデータを見ても異なる見解になるためだと思う。だから、同じ経験をし、同じものを見聞きしても、人は異なる学習をする。
 もう一つは、防衛的本能により、ゆがんでみてしまう。この方が複雑かもしれない。特に人の上に立つ人は、国のトップであれ、企業のトップであれ、チームのトップであれ、注意する必要があると思う。組織のトップは、よほど注意しないとフィードバックメカニズムが働かなくなる。いくら優秀な人物でもフィードバックメカニズムが働かないと失敗のリスクは大きい。もっと言うと歴史上の独裁者と言われる人は、結果的にフィードバックの芽を摘むことを常にやっている。モグラ叩きのように。自分にフィードバックが来ることがないようにしているし、周囲もしなくなる。
 この問題は簡単ではない。ただ言えるのは、こういった前提にたち、どうフィードバックをデザインするかを考える必要があることと。フィードバックに耐えうる自分になること。そして、フィードバックの必要性・重要性をしっかり認識し、避けるのではなく、フィードバックを得ようとすることだと思う。そうしなければ、学習と成長はできない。
 AIは、防衛心がない中でフィードバックメカニズムが効いていけば、学習速度が圧倒的に速くなって当然だ。

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