部分最適が全体不適合を生む

 お客様の会社で時々出てくる話。「うちの部門の生産性をもっと上げろ上げろと言うけど、あそこの部門のパフォーマンスが低いんだ。これじゃあ無理だ。うちのことより、あっちのてこ入れをして欲しいな」
 この話、確かに一理ある。会社の組織は、なんだかんだいっても機能別の組織になっていることが多い。お客様に対して、満足のいく商品・サービスを提供しようと思えば、トータルなクオリティを上げなければならない。その時、ボトルネックとなる部門(業務)があり、そこの改善を図る必要がある。これは、ゴールドラッド博士の「ザ・ゴール」のスループットの考え方にも通じる。
 しかし、ちょっと首を傾げたくなるのは、その後。
「うちの部門には、〇〇に特化させて欲しい。△△は別の部署に。うちは人手が足りないのだから。」という発言が出てくることがある。これは、部分最適の考え方。

 また、こんなこともある。大手企業の営業現場の社員の人たちと話していたとき、「うちは事務処理が多すぎで、仕事を取れば取るだけ、時間がかかりすぎて、営業ができなくなる」という話があった。具体的には、どんなことなのかと、色々聞いてみると、どうやら、ソリューション的に営業をすると、複数商材をひとつのパッケージとして提案することになる。商材ごとに、発注・登録の社内システムが異なっていたり、担当部署が多岐にわたり、どこに問合せしたらよいかわからなかったりするようだ。多分、各商材を主管している部署が、ぞれぞれ、その仕事を行うための、最適な仕組みを作っているのだと思う。だから、1案件の受注であっても、商材ごとに同じ内容(例えば顧客情報)を入力する必要が生じてしまうのだと思う。各主管部門から見たら最適のシステムになっているのだろうけど、、、

なんでこんなことが起こるのか?

 私自身も恥ずかしい記憶がある。
 もう10年以上も前の話し。「学習する組織」と「システム思考」(ここでは詳しくは説明しませんが、全体的な継続的、構造的な思考を学ぶようなイメージ?)の勉強会に参加した時のこと。
 最初に実習を行った。漁船ゲームというような名前だったと思う。確か4人くらいずつのグループが数グループだったと思う。ある湾にいる魚を、各グループが部材を購入し、どんな船をつくるか計画し、建造して漁をするものだった。ちょっとしたシミュレーションゲームのイメージ。(大きな船を造るにはお金と時間がかかるとかだったような、、魚も種類があって、育つ期間が違うとか、、でも細かいルールは忘れた)
 スタートして、各グループで何期か意思決定をして、都度結果を知らされながら進んでいった。すると突然、講師から「終了です」という声がかかった。私は(多分みんな)、「えっ!どうして?まだ途中なのに?」と思った。講師は続けて言った「湾の魚が取りつくされました」
 その瞬間、頭をガ~ンとたたかれたようだった。一瞬にして、回路がつながり、止まっていた何かが流れ出した感覚だった。(この感覚はよく覚えている)
 そう、そもそもこれは、学習する組織やシステム思考を学ぶための勉強会。我々は、全員が無意識に、自分たちのグループが他のグループに勝つことに全集中してしまっていた。そして、全員で自分たちのグループの漁獲量を最大にすることばかりあれやこれや考え、湾の魚を取りつくしてしまった。先の事例となんら変わらない。(ましてやこのメンバーは、みんなコンサルタントか研修講師・・・恥ずかしい)
 頭では、わかっていて(わかっているつもり)、本も読んでいる。でもできないことってある。自分の中にあるメンタルモデルが無意識に働く。無意識だから怖い。
 全体思考をもつ、全体を視野に入れるためのhow-toは、ここでは触れないが、自分の行動、発想、視点・視野がどうなっているかは、ちょっと振り返ってみることは大事だと思う。無意識にやっていないか。

ちょっとおまけ
「こころのチキンスープ2」(ジャック・キャンフィールド、マーク・V・ハンセン)というショートストーリーが集められた本の中にこんな話が載っている。


『天国と地獄』 アン・ランダース

ひとりの男が、天国と地獄について神様と話しています。神様が男に言いました。
「こっちについて来るがよい。地獄を見せよう」
二人が最初に入っていった部屋には、人間たちが煮物の入った大きな鍋を囲んで座っていました。全員がひどくお腹をすかせ、生きる望みもすっかりなくしたように見えます。皆、スプーンを鍋に入れて煮物を口に運ぶのですが、スプーンの柄が腕より長くて口に届きません。その苦しみよう言ったら、それはひどいものでした。

「さあ、今度は天国を見せよう」しばらくすると神様が言いました。
二人がつぎに入っていったのは、先ほどとまったく同じような部屋でした。煮物の入った鍋、そして柄の長いスプーンがあり、人間たちがいました。ところがこの部屋の人たちはお腹も十分に満たされ、その顔は幸せに輝いていたのです。
「どうしてなのでしょう?私にはわかりません」とその男は言いました。
「なぜここにいる人たちはこんなに幸せで、さっきの人たちはあんなに惨めなのでしょう?条件はまったく同じだというのに!?」
神様はほほ笑むと、「それはとても簡単なことだ」と言いました。
「ここにいる者たちは、お互いに食べさせ合うことを学んだのだ。ただ、それだけのことなのだよ」

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