頭がいい???

 今回は、あまり楽しい話しではないので、書くのを少しためらったけど、やはり書きます。
 以前、ある人とこんな話をしたことがあった。彼は、誰もが知っている大企業から教育等を行う子会社に出向していた。
 なぜ、私にそんな話をしたのか、今もってわからないが、、、どちらかというと、彼と私は、仕事上の付き合いもほとんどなかったし、更に仲は良くなかった(笑)
 ある日彼は私にこう言った。「俺は、この会社にいるうちに、管理者になるんだ。流石に、この会社の社員をアセスメントで落とさないだろ」
 彼は、日本トップの国立大学を卒業していて、同期入社の大半は既に管理者になっている。彼は、アセスメント(研修を通して、その様子を専門のアセッサーが査定をする)で合格しないため、管理者になれていなかった(らしい)。アセスメント研修は、グループの中の教育を担っているこの子会社が、専門の外部の会社に発注している。だから、発注元であるこの教育を担っている子会社にいる社員を落とすことはないだろうというのが、先ほどの発言の意味だった。
 彼は、こんな風に続けた「アセスメントさえ通れば、その後は先輩たちが引上げてくれ、昇進できる。そこだけなんだ」
 私は、それを聞いて、ちょっとあっけにとられた、、、、、彼の周囲の人たち(特に上位者)は、皆こう言っていたからだ。「あいつだけは、管理者にしてはならない。あいつは、絶対に部下をつぶす」彼は、頭がいいだけあって、他の人のミス等を逃げ場のないように、ものすごく責めるらしい、トイレで泣いていた社員もいたという話。(今だったら、即アウト!)
 ほとんどの人が同じ認識をしているのに、、、こんな頭のいい人なのに、この人はわかっていないんだ、、、、、そう思った。
 彼は、自分の行動や考え方を変えることに意識を向け、力を使うべきなのに、アセスメントに受かるということにばかり目を向けている。
 もちろん、彼の人間性?の問題ではある。しかし、その時、私にとってインパクトがあったのは、偏差値がいくら高く、IQがいくら高くても、こんな簡単なことがわからないんだということだった。「頭がいい」ってどういうことだろう?

 学校の授業や試験とは異なる社会。そこでは、出された問題の正解を解答するのではなく、「問い」は、自分で立てなければならない。「問い」が違うと答えが違う。彼に見えたのは、「管理者になる」、そのためには「なかなか受からないアセスメントに受かる必要がある」、「どうすれば受かるか」、、、といったストーリーだけだったのかもしれない。
一つのロジックとしては、成り立つのかもしれないが、全体からすると、とてもおかしい。何が必要なのか?何が受け入れられるのか?何が使命なのか?をしっかり持っていなければ、素晴らしい結果は出せない。自分の狭い思考フレームと着眼点だけでは、組織の中(社会)でやっていけない。
 そして、多面的思考を磨くのには、対人関係も大事だと思う。私も含め、彼に何人の人が親身に指摘してあげたのか、、、実際は、何人かしたと思うが、受容できなかったのだと思う。
 個人的には、アセスメントは、あまり好きではない。今回は、その理由は長くなるので書かないが。でも、寂しいことだけど、こういった場面では、彼がアセスメントに通らなくて良かったと思ってしまう一面もある。

 先日、ある会社の幹部が、優秀でない社員は不要というようなことを言っていると聞いた。その会社は、そういった社員は不要となっても、成り立っていけるから言えるのだと思う。普通は、どの会社も人材不足でそうはいかない。そして、そんな粒ぞろいの優秀な人ばかりではない、だからこそ管理者が人財育成をすることが必要になる。査定・評価と育成は表裏一体で、管理者がしっかり査定をし、育成をしなければならない。
 そして、今後はAIが社員の業務の代わりをこなし、管理者の業務の代わりをこなす日も近いかもしれない。先のような人が管理者になってしまうのであれば、AIの方が優れている可能性が出てくる。コンピューターも学習し、成長していく。それは、上司も部下もほとんどのホワイトカラーがAIにとってかわられる可能性を含んでいる。もっと、人間らしく、、、まだできることがあるのでは? AIの進展による明るくない側面も気になるが、そうも言ってられない。人間の可能性を信じて、人の成長を信じて・・・

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