先輩のコンサルタントから聞いた話し。
「ありがとう」の反意語は?
なんだ??? 考えたことなかった・・・
「ありがとう」の反意語は「当たり前」らしい
先輩曰く、サッカーの長友佑都さんがテレビで言っていたとのこと。(実際のところはどうか、それは重要ではない)
でも、ありがとう・・・有難い・・・めったにない
とすれば、確かにありがとうの反意語は当たり前かもしれない
当たり前だと思うと、そのことに感謝しない・・・「ありがとう」という言葉は出てこない
更に、当たり前だと思うから、やっていないと不満を感じる、文句も言いたくなる
部下に対して、仕事だからこれくらいやって当たり前
上司なんだから、立派なマネージャーとして~~するのは当たり前
従業員エンゲージメントが高い会社の従業員は、会社に「ありがとう」と感じているように思う。
会社(経営陣?)は、社員に感謝している。「ありがとう」を言葉で伝えたり、その他各種施策を行っていたり、そしてそれが社員に伝わっている。(言っていること以上に、やっていることを社員は見ている)
自分を大切にしてくれる会社のために頑張ろうと思える。会社のお客様は、自分の担当でなくても大切、自社商品を使ってくれるということは、あたりまえではない。だから「ありがとう!」
以前、家電量販店のお客さんがいた。研修担当の室長にある時「冷蔵庫、買い替えようと思うんですが、家の近くのそちらの店舗で買うと少し安くなりますか?」なんて冗談半分に言ったら、その人が自分の名前を言って、安くしてもらってくださいと言ってくれた。
その店舗で、店員さんに伝え冷蔵庫を安くしてもらって買った。(母のところのと2台買ったので、結構安くしてもらった)そのお礼をと思い、研修担当の室長にメールで安く買えたお礼を伝えると、彼からの返信は「いいえ、数ある家電のお店の中から、弊社の店舗で買っていただき、本当にありがとうございます」というものだった。こちらが安くしてもらったお礼をと思ったのに、彼から逆に「ありがとうございます」と言われた。安くしたし、研修の発注元だから、うちの店舗で買って当たり前という発想ではなかった・・・だから「ありがとう」
そういった考え方が浸透している会社であってうれしかった。
伊丹敬之(一橋大名誉教授)の本「経営者の姿」という本に、西岡常一(法隆寺宮大工棟梁)「木のいのち木のこころ 天」からの抜粋ということで、こんなことが書いてある。
「棟梁の大きな仕事は、人に仕事をしてもらうことにあります。どんなに腕がよくて、木の癖を見抜くことができても、自分一人では建物は建たんのです。一人では柱一本持つこともできませんがな」
「昔は自分一人でできるような気になるもんですから怒るんですな。何でこんなことができんのかと思いましてな。誰もが自分と同じようにできると思うんですな。また頼んだことを全部完全、完璧にしてもらわな許せんのですな。ところが実際には、そないわけにはなかなかいきません。どうしても『させたろ』という気が先に立ちますのや。それが近ごろでは『してもらう』という気になりますものな。仕事はしてもらうんですな。建築という仕事は芸術家が自分一人の責任で造るのとは違いますから、気に入らんというて壊したり投げだしたりはできませんのや。そのうえ大勢の人がおらんとできませんからな。やってもらわなならんのです」
まさに!という感じだ。自分も戒めないと、、、
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